いっしょか ちゃうか
大阪弁と食文化の関係

 

大阪弁は「まるこ~て、やらこい」

 そもそも大阪の商売人が使っている言葉は、「まるこう(丸く)」て「やらこい(やわらかい)」ものです。客の気分を害する言葉は、基本的にはないといってもいいでしょう。無理な注文にも、「お断りします」という四角い言葉を返すことはなく、「よろしおま」と口にしました。

 「よろしおま」の言葉に、大阪商人の心意気が見えます。値切りに対しても、「無茶なことを言わはりましてもなぁ。精一杯、べんきょうさせてもろてますよって(無茶なことをおっしゃいましても。精一杯、価格を下げていますから)とうまく応答します。「よそはもっと安いで」と客が言えば、「ものがちゃい(違い)まんがな」とま~るく返し、そして丁々発止の駆け引きを楽しみ、場の空気が盛りあがるようにと努めるのです。

 

 

大阪の食も「まるこ~て、やらこい」

 「丸」は、食べ物にも現れています。正月の雑煮に入れる餅は、江戸は四角い切り餅ですが、上方は丸餅でした。うなぎも、大阪は丸い丼の鰻丼(まむし)を好みます。東京は、四角な「鰻重」。わらび餅の形状も、大阪は丸っぽく、東京は角ばっているなどの違いが見られました。

 たこ焼も、「まんまるこ」です。そして「やらこー」て「ぬくぬく(温かい)」で「味わい深い」。すべてが、大阪弁に通じます。それに、大阪弁にはたこの吸盤のように人の心にキュッと吸い付くものが多くあり、ここにもたこ焼との共通項が見てとれるのです。

 大阪の食は、「焼きとだしの文化」の一面があります。たこ焼、お好み焼、いか焼などが「焼き」で、きつねうどんなどが「だし」。ひっくるめて「こなもん(粉物)文化」になり、「やわらか文化」とも呼べます。

 「やわらか好み」は、漬け物にも当てはまり、やわらかい古漬けが関西好みで、堅い新香漬けは関東です。梅干もやわらかいタイプが関西で好まれ、かりかりと堅い小粒の梅干は関東嗜好。煎餅もまた、関西はやわらかい瓦煎餅で、堅い草加煎餅は関東になります。豆腐も昔は、上方はやわらかい絹豆腐で、江戸は固めの木綿豆腐好みの図式がありました。雑煮の餅も、大阪では焼かずに煮て、やらこーにします。

 大阪弁が「やらこい」のは、このように「やらこい食べ物」が好きであることとも無関係ではないはずです。

(大阪弁に関して詳しくは、拙著『ほな!!ぼちぼちいこか大阪弁』(すばる舎)をご覧ください) 

 

鮨と鮓考

 

「江戸っ子だってね、すし喰いねぇ」の舞台は大坂

 森の石松は、文久2(1862)年、清水次郎長の代参として讃岐の金比羅さんに献刀をしての帰路、大坂に立ち寄っています。大坂の天満から京・伏見へ向かう三十石船に乗るためです。(天満橋に八軒家船着場の碑が建っています)。その船上で、「江戸っ子だってね、神田の生まれよ、喰いねぇ、喰いねぇ、すし喰いねぇ」の名台詞が生まれました。舞台は、淀川上、大坂なのです。

 口にした「すし」は、「にぎりずし」であはりません。浪曲師の先代広沢虎造さんが「大坂本町橋名物の押しずしを脇へ置いて酒を呑み、すしを食べ」と口演していますように、「大坂ずし(押しずし)」なのです。

 

 

にぎり鮨と押し鮓

 にぎりずしは「鮨」、押しずしには「鮓」の字を当てるのが一般的です。そもそも「すし」は、魚を桶に詰めて重石をし、塩と米飯で自然に発酵させた「なれずし」といわれる保存食でした。酢でしめして食すから「すし」、酸っぱいの「酢し」との説もあります。「鮓」の字になるのが分かりますね。その後、「なまなれ・押しずし・にぎり鮨」の順に新しいすしが誕生しました。

 江戸の街で最初にすし屋を開いたのは、四谷の「近江屋」といわれますが、当初の商品は押しずしでした。押しずしは、作るのに時間を要します。気の短い江戸っ子はそれが待てずに、その場でパッと握りサッと食せるにぎり鮨を開発したのです。

 にぎり鮨は、江戸前の海でとれる活きの良い魚をその場で食すわけで、魚編に旨いと書いて「鮨」の字になるのも納得できます。

 にぎり鮨は、大坂でも江戸とさほど変わらない時期に登場していますが、石松はそれではなく、押しずしを買い求めました。にぎり鮨は、その場で食すすしです。対し、押しずしはテイクアウト商品であり、ことらが適しているとの判断からでしょう。

 ところで、大阪のすし屋には、「鮓屋」が存在します。ところが、東京には「鮨屋」はあっても「鮓屋」はありません。屋号の字一つからも、大阪は「すし」の歴史に、東京は「にぎり」にこだわりをもつように思えて、興味深いではないですか。

(東京と大阪の食文化比較は、拙著『東京と大阪「味」のなるほど比較事典』(PHP文庫)をご覧ください)

 

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